カテゴリ:制作に関して/雑感( 24 )
使った糸リスト
使った糸のリストをそれぞれにお付けしています。

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そこに、先日自分で彫った葛の文字の印を押してみました。
私の所で織ったという良い証明にもなり、良い雰囲気になりました。

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by watanabeshino | 2016-09-22 17:00 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
着物のしきたり、決まりごと
着物を沢山頂きました。
といってもそれは随分前で、最近になってやっと開けたのですが。

そうして、自分で誂えたものはほんの数枚しかない私が、色々の着物を「選べる」ようになって、とかく敬遠されがちな着物のしきたりや決まり事は、逆手に取ればとても楽しい営みでもある、という事に最近気づきました。

今の季節で、この天気で、この気温で、このシチュエーションで、相手の方のお立場はこうで、私のスタンスはこうで、さて、どうする?とくるわけで、それはまるで「なぞかけ」のようなのです。

この状況で、この着物、その心は…

という訳です。

なぞかけでも沢山の引き出しがあった方が良いのと同じように、着物のしきたりや決まりごとを分かっているとそれだけ自分の選択肢も増えるということ。それは「せねばならぬ」ではなく、もっとファジーで流動的な、着物に楽しみを付加するための共通意識というか、全体的なルールというか。順当に行く時もあれば、おーそう来たか!となる時もあり、いわば「物言わぬユーモア」「言葉にしない相手への敬意」発信側も受信側もお互いにそれぞれの知識の中で言葉を介さずやりとりする。随分と深みのあるコミュニケーションです。

着物沢山あったけど全部捨てちゃったわ、と耳にする事が多いですが、着物は個人の所有物というよりは皆の共有財産みたいな所があるので、もしも手放したい場合には、捨てようかと思う前に、いえ決して捨てずに、着物に所縁のある人に相談してみてくださいね。



さて、大きな柄の小紋で光ってるこの着物は一体どういう時に着ようかと思っています。なかなか出番がないような、いやそこはトンチを効かせて…

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by watanabeshino | 2016-06-08 08:47 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
亜麻

 久しぶりに、昨年末展示会を一緒にした亜麻布の小野田さんと、玄米ごはんカフェじょじょで、お会いしました。亜麻は北海道の気候にピッタリの植物ですし既に本当に沢山の方が試行錯誤しながら取り組んでいることを再確認、手作業による、新しい日本の自然布となる可能性をとても感じます。一人一人が自分のできる範囲の事に取り組んで、全体が何となくファジーに繋がっている感じが、私はとても好きで、かつ、なんだかそういう、個人主義でもなく全体主義でもなくグループでもなくバラバラでもないようなまとまりが、北海道の土地柄人柄らしい感じもします。亜麻は、きっと既にそういう素地ができている。


 で、私も何だかにわかに亜麻熱が再燃して、スピンドルで手元にある亜麻の繊維を紡ぎ出しています。しかし、亜麻は、紡ぐといいながらどちらかというと他の植物繊維と同様に、「績む」作業に近いんじゃないかと今更ですが思いました。長い繊維を長いまま繋ぎ、端と端の繊維を絡めて撚りをかけてやると、とても綺麗な糸になります。

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この糸は箸置きの経糸に使います。葛に取り組む前に亜麻の糸に挑戦して断念している経緯も相まって、亜麻×葛の布はずうっと昔からの憧れでした。叶いそうで嬉しい。


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by watanabeshino | 2016-04-09 12:45 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
時が経っても色褪せず
 着るものも食べるものと同じくらい体に影響するんじゃないかと思っています。ある特定の場所で買った特定の服を着ていると決まって具合が悪くなるという経験を自分自身が重ねたうえに、各方面からの衣服に関するそうした声を聞くにつれ、そう思うようになりました。だからといって、盲目的に、自然素材だから手作りだから大丈夫、石油由来だから工業製品だからダメ、という話では全然ありません。多分何にしても良いものは良い。質の良いものはそこに内在しているダメなものをも上回る機能を持ち合わせているのでプラスマイナスでプラスがはるかに多いということであるかもしれないし、素材の持つ性質に対する用途の違いゆえかもしれない。それは自然素材も化学繊維も同じです。

 手元にある冬用のアウターウェアが今年で使用5年目くらいになりました。2年くらい洗っていなくてあまりに汚かったので先日専用の洗剤で洗い、撥水スプレーかけました。新品の頃よりはもちろん機能的には劣化してきていますが、愛着も含めていい味出ています。

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 「時が経っても色褪せず、むしろより輝きが増す」というのはかねてからの私のもの選びの基準、ものづくりの基準、なのですが、山用ウェアもその機能もさることながら年月を経ても良い味出す、さすがやはり良いものは良いのだなと、5年目にして思います。中にはウールや麻などの素材を組み合わせてあるものもありますが、ほとんどは化学繊維です。でももちろん着ていて具合が悪くなるということはありませんし、むしろ山ではこれでなければいけません。しかし、山へ行く時の服装なので、ただ単に気持ちがルンルンしていて具合の悪いのを寄せ付けないということもあるかもしれません。そういう意味でも、衣服の素材の性質と用途というのは重要な要素だと思います。

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by watanabeshino | 2016-03-11 14:07 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
葛の糸の斑、色の違い
 私の織る葛の布の途中には、色の違うところがあります。写真、分かるでしょうか。
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 ちょっと黒っぽく斑点または点のようになっている、または、少し色味の違う部分がある。これは葛の発酵の仕方と洗いの状態によってそうなってしまう場合もあるのですが、虫が葛の茎からエキスを吸った跡の場合もありますし、元々の葛の繊維の色の違いの場合もあります。目立つ部分は切り落とし使わないようにしていますが、ただ、見た目に悪いからといって簡単に切り捨てるのも痛ましく、機能的に劣りさえしなければ、出来るだけ使ってやりたいとも思います。例えば、帯なら、表に出ない部分に。または、木枠の機の小さな布に。
 ダメだから捨てる、ではなく、ダメにしない。
 しかしそれは蔓を選び繊維を取り出す段から始まっていて、そういう繊維になったのは私の責任でもあるのですが、それは次への課題とし、出来てしまったものはダメだからと簡単に捨てず最後まで使ってやりたいと思います。

 以前にも書いたことがありますが(「色について」)、素材も色も、あらかじめこちらの意図したものをどうにかして出そうと考えるのではなく、出来たもの、出たものを、活かしたいと考えています。限りあるものの中で最大の努力をする、それが素材にも自分にも無理がなく、結果、使う人にとってもきっと心地の良いものになるのではないかと思います。

 しかし、まぁ、こういう、意図的に意図しない、みたいなのが好きというだけのことかもしれません。

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by watanabeshino | 2016-03-08 11:02 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
木枠機、腰機、糸だけの織り装置
『時を織り込む人々』という本がある。
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出版年は2001年。
博多織の源流を辿ろうと中国の苗(ミャオ)族の織物を、15年に渡って現地に何度も通い研究した鳥丸貞恵さんという方の本。当時札幌芸術の森で、現代アート作家や(確か)陶芸家、(現在私の先生である)織りのみやはらみゆきさん、鳥丸さんの講演があり、まる2日間かけての鳥丸さんの、苧麻の糸取り〜糸作り〜苗族の織りの、実習講座もあって、私は抽選に漏れたにもかかわらず当日直接かけあい無理やり鳥丸さんの許可を得て参加させてもらった。本はもちろんその時に買ったもので、苗族の編み、織りについて詳細な紹介がされている。写真のように大きな装置を使っているものから、糸と自分の体だけで織っているようなものまであるのだが、経浮き織りを軸にした細かな模様が大変美しく、信じられないくらいに簡単な装置で、なんとこれだけのものが織れるのかと衝撃を受けた。なんというか、この時の講座の体験とこの本で読み知った体験とが、私の織りの、もしかすると原体験、原風景、と言ってもいいのかもしれないと、今更になって、思っている。

以後、数年にわたって私は木枠の織り機や腰機を自作して、または、鳥丸さんの講座で習った糸だけで織る方法で、自分で取った葛の糸で葛布を織ろうと試みた。経糸に自分で績んだ苧麻の糸や、譲ってもらった大麻の糸を使って、葛布を織ってみたりもした。写真の木枠はその時に自分で作ったもので、今は緯絣の勉強中で織りかけ。

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その後、とうとう京都西陣の機織り機を取り寄せた訳なのだが、高機と、腰機と、木枠機と、糸だけの機と、私の心の中には今もどれもが並列に並んでいる。当たり前だが中で最も高価な高機が道具として一番優れているという訳では全然なく、腰機には腰機にしかない機能があり、糸だけの機にも糸だけの機にしかない特徴があり。腰機でないと織ることのできない布があり、高機でないと織ることができないものがあり、木枠の機でないと使えない素材があり。

「木枠の機の小さな葛の布づくり」の講座を開いているのも、そんなこんなの経緯があってのことです。

それにしても鳥丸さんの講座は短い中にたくさんのことを学べる素晴らしい講座だったが、その分とても過酷で、私は1日目の夜、寝ないで苧麻の糸績みと撚りかけを頑張った。翌日まだ終わっていないなんて言おうものなら廊下に立たされるんじゃないかというくらいの勢いのある方だった。その時に、苧麻の根をもらい庭に植えてみたが、冬の間に死んでしまった。苧麻は北海道では満足に生きられない、ならばその糸も布も、恐らくは北海道の暮らしには不向きなのだと思った。

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by watanabeshino | 2016-02-22 13:36 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
生成りが生成りだけの時よりも
私は色々の色が好きですが、植物の糸や素材は生成りがやはり美しく、生成りの色合いとその色の醸し出す雰囲気は、どんな色も敵わないと思っています。

ですから、布を織る時、生成りが生成りだけの時よりも生き生きとなるように、と考えながら色を入れる、という事を心掛けています。
まぁ…まだ自己満足の域かもしれませんので、あまり偉そうな事も言えません。心掛けです。

帯の場合、体側、着物に直接あたる部分は前に来る所に少し色を置く以外はほぼ生成りにしています。それは着物への色移りの心配を極力無くすという点からなのですが、充分な余白=「間」ともなり、生成り独特の、自然な色の移ろいが美しくもあります。

全てが柄で埋まっているのも良いですが、私はどちらかというと「間」が充分にあるものの方が、ホッとするし、落ち着きます。

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by watanabeshino | 2016-01-20 14:25 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
建物は曲尺 一尺=30.303センチメートル
反物は鯨尺 一尺=37.879センチメートル

これは鯨尺
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筬は竹筬
一寸間60羽
糸が太めなのでちょっとギリギリ。

鯨尺のモノサシは和裁の大先生 故 村林益子さんから直接購入したもの。拙い私からの問い合わせに、ご本人が、わざわざお電話を下さった。分け隔てなく対応してくださる様子に感銘を受けた。

道具と、それから尺という単位を大事にしたい。
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by watanabeshino | 2016-01-08 19:31 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
北海道に暮らす青
私は多分形より色にどうも傾倒するようで、組織織りにいかず平織りで色の組み合わせを試すべく糸を染めるようになったのはそういう訳なのだろうと思います。

そうして、色だけに「色々」やってきて、どうも北海道に暮らす人々は青が好きなのだなぁと最近感じています。北海道には比較的古くから根付いている藍染めがあるからか、しかしそれを知ると知らずとに関わらず、どうも、藍の色が、心地良く優しく入っていくようです。

ですが、それはいわゆる日本的な藍染の色ではなく、ちょっと灰がかった青とか、薄い青とか、たとえばこんな感じの色(写真)。藍染でも、いわゆる「藍染」の濃い色より、うっすら青い色の方が、好きという方が多いようです。

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この色、雪かもしれないと思います。
雪の色は、光の量や水分の含有量によって、灰〜水色に変わる。それから、どんより鉛色の雪雲と春が近い真っ青な空。吹雪の時の目の前の真っ白と、その向こう奥深くにある灰色の青。それらのグラデーションが、きっと心の奥深くにどっしりと根を張っているのではないか。

そういうのこそが、伝統と言えるのかもしれません。思えば、暑い地域の染めや織りの衣服は、それはもちろん素晴らしいものではありますが、そのまま北海道に持ってきても、あまり映えない。どこか浮いてしまったり、何だか馴染まないなぁと、違和感が残る。やはり土地のものは、その土地で、活き映えるのだと思います。

写真は木枠の織り機による栞です。
染めは伊達の蒅、灰汁建てによる。白い部分は葛の生成。

もちろん私も漏れずこの雪の青が大好きです。

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by watanabeshino | 2015-11-09 15:01 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)
葛の小さな栞
木枠の機で葛の小さな栞を一日一本を目標に織っています。仕上げまで含めて2時間かかってしまうのでもう少しスピードを上げたいところですが、やっているうちに色々試したくなって、余計な事をするのでますます時間がかかります。

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しかしこの栞、大変具合が良いです。
帯を織るための試し織りになるばかりでなく、帯を織った時に出る、どうしようもない半端な糸と、葛の糸を作る時に出る、糸にできない葛の繊維を、ほぼ全て使い切る事が出来るのです。要するに、織物をしている過程で捨てる部分をほとんど出さずに、ほぼ全てを活用出来るのです。

例えばこんな半端な糸や繊維。
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「残り物には福がある」という言葉がありますが、どうもその元々の意味は、「半端に残ったものの活用を知恵を出して考えた結果、思いもよらぬ良いものが出来る」というような事だったのではないかと、近頃思います。思えば、今や逆に高価にすらなっている、絹糸のキビソ糸やビス糸、紬や刺し子なども廃品利用の知恵の結果です。パッチワークやポジャギもきっとそうですね。

とにかく、ものを作る過程で、なるべく捨てるものは出したくないと思っています。勿体無い、地球環境への配慮、といったことより以前に、それが出来るまでの過程や、自分か他人かを問わずその労力を思うと、使えないからと簡単には捨てられないのです。

使っている木枠の織り機です。
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by watanabeshino | 2015-10-27 11:51 | 制作に関して/雑感 | Comments(0)



織/葛の糸と葛の布
by 雪草